|
ニュージーランド体験談
|
掲載日:2006/11/08
ニックネーム = ruri
渡航年月 = 2005年4月
語学学校についてまとめる機会があったので、語学学校に通っていない立場からの語学学校考を。
参考になれば。
まず、ワーホリの間で言われていた、語学学校に関する一般論。
全っ然英語ができない、という人は、語学学校に通う意味があります。伸びます。
中学レベルの英語ができる人なら、語学学校は3ヶ月も必要ありません。基本は慣れです。
どんどん人と話せばそれだけ伸びます。学校に行っていると、逆に学校に通うレベルの日本人や
韓国人とばかり話すことになり、あまり英語が伸びないという話も結構聞きました。
最初語学学校に1ヶ月通って、旅をしてみて、英語力が足りないと思ったのでまた語学学校に1ヶ月行く、
という人もいました。また、3ヶ月申し込んじゃったけど1ヶ月で十分だった、旅に出たいよ〜、
って人にも何人か会いました。
そんな感じなので、値段も結構高いし、最初に3か月語学学校に申し込むのはお勧めしません。
心配なら、最初に1ヶ月だけ申し込んで、もっと必要だと思ったら延長したらいいんじゃないかな?
期間短縮は難しいみたいですが、延長は比較的簡単にできるみたいです。
学校変えるのも。短期だと2週間くらいから申し込めたと思います。
大都市なら無料のボランティア英会話教室なんかもあるみたいです。
NZの人はフレンドリーなので、公園で、観光地で、宿で、いろんな人に話し掛ければ、
そこが実践的な語学学校になると思います。
僕はこのスタンスで、いろんな人に話し掛けて英語の練習をしていました。
自分で話す、話さざるをえない状況であれば、英語は間違いなく伸びます。
逆にいうと、英語を伸ばしたいなら、英語ができる友人(日本人・外国人問わず)と
一緒にいるべきではありません。
最初はある程度日本人とも付き合った方が、自分の英語に自信がついたり、目標ができたりしていいけどね。
結論としては、ある程度の下地(中学〜高校くらい)があればなんとかなるものです。慣れ慣れ。
|
|
ニュージーランド体験談
|
掲載日:2005/10/24
ニックネーム = ジェンツーペンギン
email = gentoopenguin443@yahoo.co.jp
渡航年月 = 2004年6月
良くも悪くも色んな事を経験した楽しく濃ゆ〜い一年間でした。長いですがこれ
から行く人にも行って帰ってきた人にも楽しんで読んでもらえればと思います。
・ホームステイ(Auckland)
日本に居た頃エージェントに頼んで手配してもらったんですがステイ先は中国人
の旦那さんとマオリ(NZの先住民族)と中国のハーフの奥さんの家でした。NZ
といえば白人と勝手に思い込んでいたのでちょっと予想外。しかしとってもいい
人達だった!ただし初めの頃は色々大変・・まず家族が異様に多くて毎日誰かし
ら私の知らない親戚が家に滞在。朝リビングに行くと知らないおじさんがタバコ
吸ってたり・・「この人達はTaurangaから来た妹夫婦よ」とか「この人達はDunedin
から来た甥夫婦よ」とか「この人達は息子夫婦の所にホームステイしてる人達」
ってな感じで滞在中一体何人に会ったか分かりません。よくHostfatherに家族写
真を見せられて「この人は誰?」ってテストされました。一度Hostmotherが妹の
60th Anniversaryのパーティに連れて行ってくれましたが、その時の参加者は
何と120人以上!マオリも中国人も大家族だからねって言ってましたが「全員
知ってるの?」と聞くとほとんどの人は「半分くらいはね」って事でした。
食事は、朝食は各自勝手にシリアルとかを食べ(起きる時間がまちまちなので)
、ランチは平日は自分でサンドウィッチを作ったり、カップラーメン学校に持っ
ていったり。夕食だけ皆で食べるというスタイルでした。でもママの作る夕食は
とても美味しくて凄まじいボリューム。初めは全部食べられなかったけどいつし
か普通に完食した挙句デザートまで大盛り食べてました・・・フラットに移った
後も息子夫婦が遊びに来てくれたり、車買う時も手伝ってくれたりとお世話にな
りました。
・語学学校(Auckland)
私の行ってたのはCrownというAucklandでは結構生徒数の多い学校でしたが、生徒
の大半は日本人、韓国人、中国人でした。行って初めて知りましたがAucklandは
インド人と韓国人と中国人だらけです。私の最初のクラスメイトは日本人とベト
ナム人と台湾人と韓国人とインドネシア人でした。基本的に語学学校はアジア人
ばっかりです。中にはスイス人とかロシア人やフレンチポリネシア人(タヒチ、
ニューカレドニアなど)などもいますが、あんまり多くは無いです。授業は文法
とか、聞き取り、会話なんかが主でした。午後は選択クラスで、始めConversation
を取っていましたが、Topicが離婚問題とか、Single motherとか不倫とか、英語
以前に問題が難しく大変困ったのを覚えています。先生にも個性が色々あります
ので人によって授業は全く違いました。厳しい先生ももちろんいて、宿題てんこ
盛りで毎日夜中までかかってやったこともありました。ちなみに私にとって一番
役に立ったのはWritingの授業でした。あいまいに覚えた文法に線引きをするのに
役立ったと思います。宿題は死にそうだったけど得たものは大きいです。友人は
沢山出来ましたが一番仲が良かったのは最初の3週間だけクラスが一緒だった
インドネシア人の女の子で、クラスが変わった後もいつも一緒に遊んでいました。
日本帰国後にジャカルタ(ジャワ島、インドネシア)にある彼女の家にも遊びに行き
Homestayインドネシア版も体験させてもらいました。もちろん今でも連絡取り
合ってます。
Aucklandには語学学校が沢山あり、中には無料でLanguage exchangeという出入り
自由なお茶会みたいなものをやってる学校も有りました。放課後よその学校に行
って色んな人と話すのもとても楽しかったです。(なにせ学校以外に出会いが無
かったので)よく行っていた学校の先生とは友達になり、生徒でもないのに英語
教えて貰ってました。帰国後の今もメル友で、よく愚痴を言い合ったりしてます
。育った国も環境も文化も宗教も違うのにこんなに気の会う人がいるなんて今で
も不思議です。
・旅行
NZまでせっかく来たのでどうせなら一周旅行したい!と思い、出かけました。
ただ、Backpackerになれるほどの体力は無い自信があったので車を買いました。
(もちろん後で売るつもりで)一人旅は寂しいので誰か一緒に行く人を捜したん
ですが、なかなか見つからなく結局元フラットメイトとその友達の3人で行くこ
とになりました。しかし!出発2日前になって一人がドタキャン。二人では費用
がかさむ(ガソリン代割り勘の為)ので何とかもう一人見つけようと思い駄目も
とでYHAにTravelmate募集の広告を貼りました。するとなんと出発前日に電話がか
かってきたので、旅行に行かないフラットメイトまで引き連れてどんな人か会っ
てみる事にしました。
電話の主はその日にNZに到着したばかりだというドイツ人男性。かなり老けてた
のでだいぶ年上なのかと思ったらなんと同い年だったので驚き。話してみた結果
良さげな人だったので、「まぁ何かあっても2対1で勝てるんじゃない?」てこ
とで連れて行くことにしました。この後3人で北島をまわりイルカと泳いだり、
温泉に入ったり、Bushwalkingしたり、Blackwater raftingしたりと仲良く楽しみ
ました。元フラットメイトは10日後から仕事に行くことが決まっていたので、
その後はドイツ人Mとの2人旅になり南島に下り、海岸線沿いに移動しめぼしい
観光地を制覇していきました。Franz Josef Glacier, Milford Sound,
Queenstown, Dunedin, Oamaru, Christchurch, etc...
何処も奇麗でいい所でした。海も山も川も花も空も古い建物も動物も忘れられま
せん。 Mは夕焼けの写真を撮るのが好きだったのであちこちでSunsetを見に行
きました。夕日はいつ見ても同じ物は無く、奇麗で印象的でした。色んな観光地
で美しい景色を見て感動しましたが一番印象に残っているのはそこで出会った人
達です。YHAやBackpacker'sでは本当に色んな国の人達が居て、旅の感想を話し
たり、情報交換したり、ジョークを言ったり、助けたり、助けられたりしました。
また長く旅をしていると顔馴染みも出来てくるのでその人達と再開して飲みに
行くのもまた楽しかったです。たった一晩しか話してないのに忘れられない人が
沢山出来ました。
ChristmasもNew YearもBackpacke'sで宿泊客と一緒に祝いました。皆自分の
出身国の言葉で?Merry Christmas!″や?Happy New Year!″を言って盛り上がり
ました。
Mはあんまり英語が得意では無かったようで、よく皆が笑っていると一緒になっ
て`Wow,cool!′とか言って盛り上がっていたくせに後で私に「なんで皆笑ってた
の?」と聞いてきたりと結構見栄っ張りでした。「良く分かんないけど笑っとけ」
はどうやら日本人だけではないようです。意外だったんですがヨーロッパ人には
英語が話せない人が結構います。Mとは特に喧嘩も無く楽しく無事にNZを一周
出来ました。彼がNZを発つ時「もしもあの日にNZに来ないで、もしあのYHAに
泊まらないで、もし掲示板を見なかったら君達と旅することも無くて、NZを離
れる時にこんなに悲しい気分になる事は無かっただろうな。」と言ってくれまし
た。その後彼はオーストラリア、タイを旅行してドイツに帰りましたが、NZが
最高だったと言っていました。たとえお世辞でも一緒に旅した私にとってはとて
も嬉しい言葉でした。もちろん今でも連絡取り合ってます。
・車の事故
ある日いつものように運転していて信号が変わった後に車線を変更したら突然反
対車線にUターンしようとした車が出てきてそのまま衝突してしまいました。幸
い怪我は無かったんですが、初めてのことでパニックになっていると、近くの店
の人が車から出してくれ、救急車、警察、レッカー車を呼んでくれました。あれ
よあれよと言う間に救急隊員に怪我のチェックをされ、私の車はレッカーされ、
警察に事情聴取されました。その後保険会社に請求をしたんですが、なんと犯人
が自分のせいでは無いと嘘の報告をし、私に責任があるから金を払えと言ってき
ました。挙句の果てには裁判するぞとまで言い出す始末。本当に信じられないん
ですがNZでは保険会社は全く動きません。警察に聞きもしないで依頼人からの
自己申告のみ。特に外国人には対しては動こうとしません。仕方が無いので警察
にこんな事言われてるんだけど、と相談するとその犯人には違反切符切ったから
絶対に私のせいでは無いと言われました。この時ほど「外国人だからナメられた!
」と思ったことはありません。その後調書のコピーを$60でもらい保険会社の
オフィスに直談判に行きました。証拠があると速いものであっという間に片が
つき、結局車は廃車になりましたが十分な保険金を貰う事が出来ました。しかし
NZは何をするにも時間が掛かり解決まで3ヶ月以上も掛かったので本当に大変
でした。(ちなみに警察のlocal officeはいつも留守電でした)その間お世話
になった友人達には今でも本当に感謝しています。
車に関してはこの他にも、鍵が折れたり、レッカー(Tow away)されたり、何度も
修理する羽目になったりと色々と苦しめられました。(でも無いと不便)
他にも色々な事が滞在中ありましたが、全部書くと本が一冊できそうなのでこの
くらいで止めておきます。いい事ばかりではなかったけれど、人生の中でこんな
に濃い一年は無かった!と言える経験であったのは確かです。大変なことを乗り越
えられた時には自分に自信が持てるようになっていきました。またかけがいの無
い友人も作ることが出来ました。NZには沢山の外国人(移民も)が滞在してい
ますので色んな国の人と友人になれる機会があります。私には今、日本人、ニュ
ージーランド人、インドネシア人、南アフリカ人、ドイツ人の親しい友人がいま
す。日本にいたらきっと出来なかった事だと思います。これからワーホリに行か
れる方も自分なりのスタイルで素晴らしい経験を私の大好きなNZで送って欲し
いと思います。偉そうですが最後に一つアドバイスを。ワーホリの目標は
しっかり持った方が楽しめると思います。もちろん何でもいいんですが、英語を
ペラペラになるとか、キーウィフルーツのピッキングをするとか、一年のんびり
休日をエンジョイするとか。一年ははっきり言って短いです。目標の無かった
人達が帰国間近に何をしたらいいのか分からず悩んだり、後悔したり、あせって
自己嫌悪に陥ってる姿を見かける事も何度かありました。限りある時間ですので
出来るだけ有効に使ったほうがいいと思います。でなきゃもったいない!
これからNZに行かれる全ての方の旅の安全と幸福をお祈りいたします。
|
|
ニュージーランド体験談
|
掲載日:2005/10/24
ニックネーム = Daisuke
email = abopo90@hotmail.com
渡航年月 = 2004年4月
私は、2004年4月〜2005年3月まで、ワーキングホリデーを利用して、オークランド生活7ヶ月、クライストチャーチ3ヶ月半、そして小旅行して約1年間の楽しい一時をニュージーランドで過ごしてきました。
私がニュージーランドに行った人にぜひお勧めするのは、バックパッカーです。なぜかというと、私自身、オークランドで5ヶ月弱、クライストチャーチで3ヶ月半という間、バックパッカーのエクスチェンジワーカー(クリーニングをする)として、働いてたからです。
ニュージーランドへこれから渡航する人は、ぜひ、旅にでたり、もしくはエクスチェンジをするなりして、バックパッカーを利用してください。ニュージーランドは世界中(ヨーロッパの人が中心ですが)の人たちがシーズンになると旅行しにきます。その人達と交流できる絶好の場所がバックパッカーです。旅の話や、自分の日本での生活や相手の国の生活とか、色んな話が英語を通してできます。英語が使えるだけでなく、自分以外の国の人と触れ合うことで、何か自分自身、発見があるかもしれません。色んな国の人と少しの会話だけでも、気持ちよいものです。ぜひ、バックパッカーを利用してください。
|
|
ニュージーランド体験談
|
投稿日:2001/02/27
ニックネーム = 雪いちご
email = snowberry_jp@hotmail.com
開始年 = 1989年
体験談 = NZでWHした1年間は人生で一番輝いていた季節かなー、思い出の宝庫です。
体験談をひとつと言われても悩んじゃうのですが、とりあえず印象に残った事を
3つまとめてみました。
<農園でのバイト>
NZに到着してひと月になる頃、私はホームステイ先の近所の農園でポテトと
ラズベリーのピッキングのバイトをほんのちょっぴりしました。ちょうど仕事が
みつからなくて落ち込んだり、フラットを探さなければいけないというあせりを
強く感じていた時期で、ホストファミリー以外の話相手もなく”退屈で死にそう!”
と青空に思いっきり叫ぶ日々でした。畑仕事は初体験で腰や肩がバシバシに痛く
なったけど、働いたんだって充実感があって、別天地で揺らぐ私の心を落ち着か
せてくれました。広々とした畑に次々とジャガイモの袋詰の列が並んでいく充足感、
緑の茂みから真っ赤なルビー色のラズベリーが顔をのぞかせる美しさ。NZの思い
出はやっぱり自然の中で鮮やかに彩られる気がします。
その後、土産屋の店員の仕事を得てCITYに住むことになりましたが、青い空
と静かな時間に身を委ねた田舎での2ヶ月は、とびっきり贅沢な時間だったように
思われます。
<フラット>
学生時代から英語は大の苦手という私に英会話力を必要とする仕事を得られるわけ
もなく、せめて同居人くらいは現地の人、が滞在当初の私の希望でした。ホーム
ステイ当時から新聞を眺めては、ボーディングやフラットシェアーの欄をチェック
しつつ、いざ電話をかけた時の自分を想像しては、ひとりでドギドキしてました。
初めてのフラット訪問は自分のでなく、知人の家捜しに加わって。聞き取りに苦労
しながらも電話をかけてまわるその姿になんだか勇気づけられました。自分の家
捜しは仕事をはじめる1週間前。覚悟を決めて初めてした電話は途中で内容が聞き
取れず、ホストマザーの助けを借りる。2,3軒まとめてまわるのだけど、玄関ドア
が開いてからそのドアを後にするまで、心臓バクバクのすごい緊張感。それでも
何軒かこなす内にだいぶ慣れてきました。最初の”他の人に決めたの”の返事には
気落ちしてしまったけど、”ごめんなさい、他のフラットに決めました”と自分で
断った時もなんだか後ろめたかったです。(学生ばかり6人暮らすフラットで騒がし
さもはんぱじゃないわよ、とアドバイスされたし、夕食当番が強制だったので)
私の場合、フラット訪問の時には必ずホストファミリーが付き添ってくれたので
それに助けられた面が大きいと思うのですが、無事フラットメイトをみつけること
ができました。平屋の小さな2ベッドルームの家。でも内装はなかなかおしゃれな
すてきなお家でした。家主は30代半ばの女性。時には意見がぶつかったっり、気に
障ることがあったりもしましたが(お互い様だと思うけど)、NZに滞在する上で
快適な生活空間を提供してもらったことに今でも感謝してます。
<Cityでの生活>
NZではサマータイムが適用されるためもあって、とても日が長く感じられます。
仕事を終えた後にゴルフがプレイできてしまうくらい、余暇の時間がたっぷりあり
ました。友達とのおしゃべり、ショッピング、図書館での読書(主に絵本・・・)
心行くまで気ままな時間を過ごしました。市民講座の英会話教室を受講したり、
ふらりとドライブにでかけたり。テニスやゴルフも気軽に楽しんだものです。
いわゆる”遊ぶところ”はあまりないかもしれないけど、シンプルで静かな生活。
こんな時間をずーっと刻んでいけたらいいのに、と私は思ってました。
ラズベリーピッキングの体験談はHPの「職探し体験記」に載せてます。
フラット探しの体験談も近日中に更新する予定です。
よかったらのぞいてみてください。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~J-Tabi/
「SnowberryのちょっとだけNewZealand」
|
|
|